山口地方裁判所 昭和36年(行)2号 判決 1966年4月25日
山口県美禰市大嶺町東分二、九三一の一
原告(昭和三六年(行)第二号)
広中保文
同所
原告(昭和三六年(行)第三号)
広中ヨシ
右両名訴訟代理人弁護士
高井昭美
山口県厚狭郡山陽町大字鴨之庄一一一番地の一
被告厚狭税務署長
杉島房夫
右指定代理人
鴨井孝之
同
久保田義明
同
中本兼三
同
吉富正輝
同
常本一三
主文
被告が、原告広中保文に対し昭和三五年五月三一日付でした昭和三四年分贈与税の賦課処分および原告広中ヨシに対し昭和三五年八月一〇日付でした昭和三三年分所得税の賦課処分はいずれもこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
(当事者の申立)
一 原告らの申立
主文同旨の判決
二 被告の申立
「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決
(当事者の主張)
一 原告らの請求原因
(一) 被告は原告保文に対し昭和三五年五月三一日付で昭和三四年分贈与税として課税課価額七四万円、贈与税額を九万五、〇〇〇円、無申告加算税額を一万九、〇〇〇円とする旨の賦課処分をした。そこで原告保文は昭和三五年六月一二日付で被告に対し再調査請求をしたが、被告からの求めによりこれを審査請求として取扱うことに同意したところ、広島国税局長は昭和三六年五月一八日付で原処分の一部を取消し、課税価額を五八万二、八六二円、贈与税額を六万一、五六〇円、無申告加算税を一万二、二〇〇円とする旨の審査決定をした。
(二) 被告は原告ヨシに対し昭和三五年八月一〇日付で昭和三三年分所得税として譲渡所得を四二万五、〇〇〇円(耕作権の譲渡による収入一〇〇万円、特別控除額五七万五、〇〇〇円差引譲渡所得四二万五、〇〇〇円(農業所得を五万四、六三一円農業収入八万七、〇〇〇円、各種控除額三万二、三六九円、差引所得額五万四、六三一円)、総所得金額を四七万九、六三一円、所得税額を六万四、〇〇〇円無申告加算税を一万六、〇〇〇円とする旨の決定をした。これに対し原告ヨシは昭和三五年八月二五日付で再調査請求をしたが三ケ月以内にその請求に対する決定がなかつたため右請求は所得税法第四九条第四項第二号の規定により審査請求とみなされたところ、広島国税局長は昭和三六年二月二二日付で審査請求を棄却する旨の審査決定をした。
(三) しかして右各賦課処分は原告ヨシ原告(保文の母)が美禰市大嶺町東分字沖田三、四三七番地外五筆の田地五反二畝一六歩(以下本件田地と略称)を広田亭甫から賃借耕作していたところ本件田地の一部が美禰市に買収されることになつたために右賃貸借契約を合意解除し、その離作料として昭和三三年九月同市から一〇〇万円を受領し、右離作料の一部五八万二、八六二円で同市大嶺町東分字吉則第二九三六番の二家屋番号同所第三五五番の二の家屋(以下本件家屋と略称)を建築し、その娘(原告保文の姉)の夫である中島行雄に贈与し、右中島がこれを更に昭和三四年二月一二日原告保文に贈与したか、または原告ヨシがそのころ原告保文に直接贈与したかいずれの贈与行為があつたという認定によるものである。
(四) しかし次に述べるように原告保文はその賃借耕作していた本件田地の賃貸借契約を合意解除してその離作料としてうけた一〇〇万円の一部五八万二、八六二円で本件家屋を自ら建築したものであつて、右中島または原告ヨシからその贈与をうけたものではなく、原告ヨシは本件田地の賃借人でも農業経営者でもないから本件田地による農業所得はありえないし、前記本件田地の離作料も原告ヨシに帰属するいわれはない。従つて右各賦課処分は違法である。
(1) 原告保文の祖父(原告ヨシの父)建中宇三郎は大正初めごろから本件田地を地主広田亭甫の先代広田用蔵から借受け耕作していたが、後原告保文の父(原告ヨシの夫)広中鶴一がその跡を継いで小作契約を結び本件田地を賃借耕作していたとこは、右鶴一は昭和一六年一〇月七日死亡したのでその長男である原告保文が同月二〇日家督相続し、右小作権を承継した。
(2) 右家督相続当時原告保文はまだ幼少であつたので原告ヨシが昭和一七年に山口区裁判所から原告保文のために親権を行う許可をえて原告保文の財産を管理するとともに昭和三〇年ごろまで原告保文に代つて、本件田地を耕作していた。原告保文は昭和三三年ごろ成年に達し一七、八才ごろからは農業に従事していた。従つて原告ヨシが小作人として各種文書に署名押印している事実があるとしても、それは原告ヨシが親権者として原告保文を代理してしたものである。
(3) 仮りに原告ヨシの署名押印があることによつて同原告が本件田地の小作権を取得したかの如き事実を窺わさせる文書があるとしても、右文書によつてなされた原告ヨシの意思表示は同原告が真意に非ざることを知つてしたものであり相手方はその真意でないことを知つていたかまたは知りうべかりし場合に当つているものであるから無効である。
(4) 仮りにそうでないとしても右意思表示は法律行為の要素に錯誤があり、しかも原告ヨシには重大な過失がなかつたのであるから無効である。
(5) ところが昭和三二年秋ごろ美禰市庁舎移転敷地問題が起り、本件田地の一部が右敷地に予定されたので原告保文は昭和三三年本件田地全部について賃貸借契約を合意解除し、右小作権を失う代償として一〇〇万円を受領した。前述したように本件田地の小作人は原告保文であるからその離作料もまた同原告に帰属すべきものであり、他に特別な理由がない限り右離作料で建築した本件家屋は当初から原告保文の所有に属するものであつて、原告ヨシより贈与を受けるべき筋合のものではない。
(6) 原告保文が本件家屋を建築したところ、右中島は国鉄家屋建築資金の名目で国鉄共済組合から借受けていた金員を他に費消し、家屋を建築できなくなつたので原告保文に対し本件家屋の登記名義を貸してくれるよう依頼してきた。そこで原告保文は昭和三四年一月七日本件家屋の所有権保存登記を右中島名義でしたが、後その必要がなくなつたので同年二月一二日右中島から本件家屋の売買を原因とする所有権移転登記の形式を履んで登記名義の返還をうけた。従つて原告保文が本件家屋を右中島から贈与されたとする被告の認定は誤りである。
(五) よつて右各賦課処分はいずれも違法であるからその取消を求める。
二 被告の答弁および抗弁
(一) 請求原因事実(一)ないし(三)項は認める。
(二) 同(四)項のうち原告保文の祖父(原告ヨシの父)右宇三郎が大正初めごろから本件田地を地主広田亭甫の先代広田用蔵から借受け、後に原告保文の父(原告ヨシの夫)右鶴一がその後右宇三郎の跡を継いで右田地を賃借耕作していたこと、右鶴一が昭和一六年一〇月七日死亡し、同月二〇日原告保文が家督相続し、原告ヨシが昭和一七年ごろ原告保文の親権者となつたが、原告保文は昭和三三年ごろ成年に達したこと、昭和三二年秋ごろ美禰市庁舎移転敷地問題がおこり本件田地の一部が買収の対象となつたこと、本件家屋の所有権保存登記が昭和三四年一月七日原告ヨシの娘(原告保文の姉)の夫右中島名義でなされ、同年二月一二日右中島から原告保文に対し売買を原因とする本件家屋の所有権移転登記がなされていることはいずれも認めるがその余の事実は争う。
(三) 右各賦課処分は次に述べるようにいずれも(右贈与税賦課処分については広島国税局長の審査決定により維持された限度で)適法である。
<1> 原告ヨシは昭和三三年当時広中亭甫から本件田地を賃借していたものであり、農耕の主宰者であつたことは左記の事実によつて明らかであるから、右農業経営によつて得た所得が原告ヨシに帰属していることは当然であるし、昭和三三年九月その離作料として自ら一〇〇万円を受領したのであるからこれまた同原告に帰属するのが当然である。
(イ) 本件田地については地主である広田亭甫と右鶴一との間で賃貸借契約が締結されていたが、右広田は昭和二四年一二月一九日あらためて原告ヨシと賃貸借契約を締結し農地委員会の承認をえた。
(ロ) 原告ヨシは本件田地のうちの三筆について賃借人として地主である右広田と連署して昭和三三年一〇月一日付で農地法第二〇条による賃貸借契約解除許可申請をしている。
(ハ) 原告ヨシは本件田地のうちの一筆について農地法第五条の許可申請がなされるに当つて耕作者として宅地転用に同意している。
(ニ) 農地法第二一条第一項の規定による小作料の最高額認可書によると本件田地の貸主は右広田、借主は原告ヨシとなつている。
(ホ) 政府に対する米穀の売渡および売渡代金の受領はすべて原告ヨシがしている。
(ヘ) 原告ヨシは昭和三三年産の水稲耕作細目書に本件田地の耕作者として押印している。
(ト) 太嶺農業協同組合の当座預金元帳の記載によると農業経営に要する肥料の購入は原告ヨシにおいてしていると認められる。
(チ) 右組合の貯金元帳によると昭和三三年産米の予約納米にかかる概算払代金および精算のすべてが原告ヨシの口座に預入されている。
(リ) 原告ヨシは農民としての資格で農業協同組合の組合員となつている。
(ヌ) 原告保文は昭和一三年一〇月一四日生れで高等学校卒業以後は美禰市役所に勤務していて農耕には全然従事していない、このことは同原告の出勤状況が昭和三二、三三年中皆勤であつて農繁期においても農耕に従事していないことからも容易に推測される。
(2) そこで被告は前記農耕による所得ならびに離作料の譲渡所得に対し別紙第一表記載の計算により同原告の所得税額を六万四、〇〇〇円とし、同原告が昭和三三年分所得税について申告書の提出期限である昭和三四年三月一五日までに提出しなかつたので、被告において昭和三五年八月一五日付でこの決定をしたのであるから所得税法第五六条第三項により本税六万四、〇〇〇円の百分の二五に当る一万六、〇〇〇円を無申告加算税額とする決定をした。
(3) 原告ヨシは右離作料の一部で本件家屋を建築しこれを右中島に贈与し、原告保文は昭和三四年二月一二日右中島からその贈与をうけたものである。そうでないとしても原告保文は原告ヨシからその建築した本件家屋を直接贈与されているものであつて、いずれにしても原告保文が本件家屋を贈与により取得した事実に変りがない。そこで被告は本件家屋の原告保文が贈与をうけた当時の時価が五八万二、八六二円であつたので別紙第二表記載の計算により同原告の贈与税額を六万一、五六〇円とし、同原告が右贈与税について申告書の提出期限である昭和三五年二月末日までに申告書を提出しなかつたので昭和三五年五月三一日付で同原告に対する贈与税賦課の決定をしたのであるから相続税法第五三条第二項により本税六万一、〇〇〇円(一〇〇〇円未満の端数切捨)の一〇〇分の二〇にあたる一万二、二〇〇円を無申告加算税額とする決定をした。
(4) 原告らは原告ヨシが右広田と賃貸借契約をしたことは心裡留保であり、錯語であるかのように主張しているが、原告ヨシが右契約当時もし原告保文を小作人とする意向であつたとすれば右鶴一から小作権を相続した原告保文としてはあらためて賃貸借契約を締結し、農地委員会の承認をうける必要はなかつたのであるから原告ヨシは自己が小作人となる意図のもとに右広田と賃貸借契約をしたという外はなく、そのことは原告ヨシが右契約後本件田地の小作人として行動していることからも裏付けられるのであるから右主張は失当である。
(証拠関係)
一 原告ら
甲第一号証、第一号証の二、第二号証提出。
証人広田亭甫(第一、二回)、同山本英一、同広中ヨシ、同中島行雄、同広中栄の各証言、原告広中保文本人尋問の結果援用。
乙第二号証の一、二、第一四号証の一、二、第二五、二六号証、第三四、三五号証成立認。乙第三号証の一、二、第五号証の二ないし四、第六号証の四、第七号証の四ないし六、第八、九号証、第一〇号証の二、第一一号証、第一二号証の一、二、第一三号証、成立否認。その余の乙号各証成立不知。
二 被告
乙第一号証、第二、三号証の各一、二、第四号証、第五、六号証の各一ないし四、第七号証の一ないし七、第八、九号証、第一〇号証の一、二、第一一号証、第一二号証の一、二、第一三号証、第一四号証の一、二、第一五ないし第三一号証、第三二、三三号証の各一ないし三、第三四、三五号証提出。
証人広田亭甫(第一回)、同窪川定夫、同伊藤保、同平井次郎、同村田忠義、同豊島佑夫、同沖野正次の各証言援用。
甲第二号証成立認。その余の甲号各証成立不知。
理由
一、請求原因事実(一)ないし(三)項は当事者間に争いがない。そこでまず本件田地の離作料が誰に帰属するかについて以下検討する。
二、原告保文の父広中鶴一が本件田地を地主から賃借耕作していたところ昭和一六年一〇月七日死亡したのでその長男である原告保文が同月二〇日家督相続したことは当事者間に争いがない。そうだとすれば本件田地の小作権は右相続により原告保文が承継したものというべきである。
三、もつとも
(一) 証人広田亭甫の証言(第一回)によつてその成立が認められる乙第三号証の二によれば、原告ヨシが本件田地を地主である広田亭甫から賃借する旨の原告ヨシと右広田の署名押印がある昭和二四年一二月一九日付農地賃貸契約書があり、大嶺町農地委員会が右契約書を承認していることが認められる。しかし証人広田亭甫の証言(第一、二回)によれば、同人は農地改革にともない現実の耕作者を小作人とする賃貸借契約書を作成するように農地委員会から指示されたものと信じ、当時原告保文は幼少であつたため主として原告ヨシが本件田地の耕作に従事していたので原告ヨシを賃借人とする前記農地賃借契約書を作成したものであることが認められ、右契約書の作成は原告保文の前記小作権を否定し、またはこれと別個に原告ヨシの本件田地小作権を設定する趣旨のもとではないと考えられ、このことは証人広田亭甫の証言(第二回)中に同人は鶴一生存中に引続いて広中家に本件田地を賃貸しているものであつて前記契約書を作成したからといつて従来からの本件田地の賃貸借契約を特に解除する意思表示はしていないというような供述があることからも確められる。
(二) 証人豊島佑夫の証言により、その成立が認められる乙第五号証の一ないし四によつて、被告主張の(三)(1)(ロ)の事実同証人の証言によりその成立が認められる乙第六号証の一ないし四によつて同(ハ)の事実、同証人の証言によりその成立が認められる乙第七号証の一ないし七によつて同(ニ)の事実、同証人の証言によりその成立が認められる乙第八、九号証によつて同(ホ)の事実、同証人の証言によりその成立が認められる乙第一〇号証の一、二によつて同(ヘ)の事実、同証人の証言およびこれによりその成立が認められる乙第一一号証、同第一二号証の一、二によつて同(ト)、(チ)の各事実、同証人の証言によりその成立が認められる乙第一三号証によつて同(リ)の事実、成立に争いがない乙第一四号証の一、二、同証人の証言によりその成立が認められる乙第一五ないし第二三号証、原告広中保文本人尋問の結果によつて同(ヌ)の事実がそれぞれ認められる。
しかし前記二および三の(一)で認定した事実に照すと、右(ロ)ないし(リ)の各事実は農地委員会の承認をえた正式の本件田地賃貸借契約書に賃借人として原告ヨシの氏名が記載されている関係から、公的な書面その他貯金口座などに被告ヨシの名義が使用され、署名押印が必要とされる場合には原告ヨシの署名押印が求められたことを示すにすぎず、原告両名が同居の家族(証人広中ヨシの証言、原告広中保文本人尋問の結果によれば原告両名が同居して生活してきたことが認めれる)。であることから原告両名も関係者もこれを不都合と感じなかつたもので、また右(ヌ)の事実も、証人山本英一、同広中栄、同広中ヨシの各証言、原告広中保文本人尋問の結果によれば、原告保文は在学中と高校卒業後を通じて学業や勤務の余暇などに本件田地の耕作に従事していたことおよび原告ヨシなど原告保文の家族が同一世帯員として本件田地の耕作に従事していたことが認められるから本件田地の小作権者が原告保文でないことの証拠となるものではなく、その他本件田地の小作権者が原告ヨシであることを認めるにたりる証拠はない。
四、以上述べたところからすれば前記買収当時の本件田地の小作権者は原告保文であつて原告ヨシではないと考えられる。ところで前記離作料(これが支払われたことは当事者間に争いがない)。は小作権者に支払われるべきものであつて、証人豊島佑夫の証言によりその成立が認められる乙第二九ないし第三一号証によれば右雑作料一〇〇万円が昭和三三年九月一六日大嶺農業組合を通じ原告ヨシ名義に対し支払われ、うち九〇万円は同原告名義の同組合定期貯金とされていることが認められるが、前認定の各事実に照すと前述したように前記農地賃貸借契約書の賃借人名義が原告ヨシの名義となつているため前記同様原告保文に対する雑作料が原告ヨシ名義で支払われ、そのうち九〇万円がそのまま同原告名義の貯金となつたものと考えられ(広中家の同組合当座預金の名義人が原告ヨシ名義になつていることは先に認定したとおりである)。右離作料は原告保文に対し支払われたものというべきである。
五、そうだとすると右所得税賦課処分中、右離作料が原告ヨシに支払われたとする被告の認定は違法であり右田地から広中家が得た農業所得が原告ヨシに帰属するとしても、これのみでは所得税法に規定する基礎控除額九万円に満たないことは被告の自認するところであるから結局右所得税賦課処分は取消を免れない。
六、また右離作料が原告保文に支払われたものである以上、右離作料で建築された本件家屋(本件家屋が右離作料で建築されたことは当事者間に争いがない)は特段の事情のないかぎり当初から原告保文の所有に属し、同原告が他から贈与をうけたものではないというべきであり右の特段の事情を認めるべき証拠はない。もつとも本件家屋の所有権保存登記が昭年三四年一月七日原告ヨシの娘(原告保文の姉)の夫中島行雄名義でなされ、同年二月一二日中島から原告保文に対する売買を原因とする本件家屋の所有権移転登記がなされていることは当事者間に争いがない。しかし証人中島行雄の証言、原告広中保文本人尋問の結果によれば右中島は他に必要とする金員を家屋購入資金の名目で国鉄共済組合から借受けるため原告保文の承諾をえて、本件家屋を右中島名義で保存登記し、その後原告保文に対し所有権移転登記をなし、右登記名義を返還したものであることが認められ、右争いがない事実は原告保文が本件家屋を右中島から贈与をうけたとする被告の主張を理由ずけるものではない。そうだとすれば原告保文が本件家屋を右中島または原告ヨシから贈与をうけたと認定してなした被告の右贈与税賦課処分(審査決定で取消されなかつた残存部分)も違法であつて取消を免れない。
七、よつて原告らの本訴請求はいずれも正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡村旦 裁判官 鈴木醇一 裁判官 竹重誠夫)
第一表
(総所得金額等の計算)
<省略>
(農業所得の算出内訳)
<省略>
(譲渡所得の算出内訳)
<省略>
第二表
<省略>